求日语论文资料 我要写一篇关于日本校园暴力现象的论文,但是资料不好找。需要大家帮忙。
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解决时间 2021-04-05 01:10
- 提问者网友:不要迷恋哥
- 2021-04-04 10:13
求日语论文资料 我要写一篇关于日本校园暴力现象的论文,但是资料不好找。需要大家帮忙。
最佳答案
- 五星知识达人网友:北城痞子
- 2021-04-04 10:39
序章「はじめに」
私が「児童虐待について」调べようと思ったのは、以前からニュース等を见て兴味を持っていたからだ。自分自身がみんなに爱されて育っている分、虐待する亲の心理が理解できずにいるから知りたいと思った。自分がお腹を痛めて产んで育ててきた子どもを嫌いなはずがないと思う。爱情があるならどうして虐待という行为につながるのか。何がそうさせているのかを私は知りたい。また、虐待された子どもは亲をどんな风に思っているのか。憎いのか、それでも好きなのか、人によって违うと思う。そのいろいろな声を闻いてみたい。その子がおとなになって子どもができた时、连锁が起こりやすいというがどうしてそうなるのか。
2つ目の理由として、私は将来保育士になりたい。その时に虐待を见极めることができたら、助けてあげられるかもしれない。心のケアもしてあげられるかもしれない。そう思ったからだ。
私が调べようと思っていることは、まず児童养护施设に行って子どもたちの様子を见ること。伤を负った子どもたちの行动、言叶をしっかり见たい。また、先生の话を闻くことで接し方や心のケアを学びたい。次に、インターネットで虐待した人・された人が集うようなサイトを探してみたい。本音を见ることができる気がするからだ。インターネットでは、虐待の种类などの基本的なことも调べたいと思っている。今まで知らなかった种类も见つけられたらと思う。そして、虐待関连の本をたくさん読みたい。生々しい体験も见られるし、いろんな事が见えてくると思う。できれば、本の著者に手纸を书いて质问などができたらと思っている。その他にも、他府県の児童养护施设で特殊な取り组みなどをしている所があれば、电话などで话を闻きたい。
このようなことを调べた上で、自分にできることを考えたい。调べたからには役立てたいし、これからの人生で生かしていきたい。自分にできることが见つかればどんどんしていきたい。私は、虐待について调べることで将来の自分が素敌なおとなになれるステップになればいいと思う。
第1章「虐待とは」
第1节「虐待行为の种类」
虐待行为の种类は大きく分けて4つある。1つ目は身体的虐待である。具体的な例をあげると、暴力・たばこの火を押しつけるなど。2つ目は性的虐待。これはそのままだけれど、无理矢理SEXをしたり性的行为をさせることなどがある。3つ目は心理的虐待。例えば、「あんたなんて生まなければよかった。」などの暴言をはいたりする。最後にネグレクトだ。ネグレクトとは、遗弃・衣食住や清洁さについての健康状态を损なう放置(栄养不良・极端な不洁・学校へ行かせない・怠慢ないし拒否など)のことである。1番多いのは精神的虐待・身体的虐待、2番目にネグレクト、3番目に性的虐待というようになっている。このように种类は分かれているが、実际の虐待は何种类もの虐待が重なり合って起きている。最初はひょんなことから暴力が始まり、止まらなくなってエスカレートすると心理的虐待やネグレクトにも発展するケースもよくある。性的虐待は、父亲・义父が娘にするのが多いだろう。
第2节「连锁する虐待」
私は夏休みにある1册の本に出会った。みひろゆうさんの『连锁する虐待 母が鬼と化すとき』だ。実际の児童虐待の事件を深く取材して、公表されない事実をもとにストーリーを描いたこの作品で、第26回新风社出版赏特别赏を受赏している。一人の少女が、恋人ができる前は优しかった母亲とその母亲の恋人の大学生から虐待を受け、少女の元担任の女性教师が悬命に助けようとするが、学校の不适切な対応や児童相谈所が学校の意见と母亲の供述だけで间违った判定をくだしてしまったことから、助けることができずに少女は死んでしまうという、とても悲しい话である。この母亲もまた、幼い顷に父亲から暴力を受けていたという。しかし、二人は身体的虐待に加えて心理的虐待はもちろんのことネグレクト・监禁もした。少女はまだ8歳だった。
この本を読んで、たくさんの事がわかったのと同时にあまりにも悲しすぎる现実も见えた。まず、日本とアメリカの法律の违いだ。アメリカのカルフォルニア州の虐待に関する法律は3000条を超えるのに対して、日本の児童虐待防止法はわずか16条しかない。施行されるのもアメリカから26年も遅れている。日本は虐待に関しては後进国なのである。また、1993年に小児病院の医师チャールズ・F・ジョンソンの発表したデータも载っていた。伤の様子で虐待かを判断する方法である。「まず、身体のどこに伤ができたのかを调べる。本来、外伤から守られる场所に伤があれば意図的な外伤である疑いが强いし、皮肤迹を调べれば、使われた道具の特定も可能だ。それから、伤口の色から外伤を受けた时期がわかる。つまり、伤口の色が复数であればあるほど反复的な怪我ということになり、虐待の可能性が高い。」と书かれている。次に、虐待をうけている子どもの感情の変化も书かれていた。これは、著者であるみひろゆうさんが调べたものだと思う。「虐待をうけている子どもは感情の不连続性が见られたり、情绪不安定になったりする。さらに症状が进むと感情の切り离しが始まる。なぜなら、あまりにも身体的苦痛や心理的苦痛が大きいために、世の中すべてのことから意识を切り离してしまうから。そしてこの状态が慢性化すると、すべての感情が麻痹してしまう。」というものだった。感情は麻痹するとは、喜怒哀楽を示さなくなり、感情がまったく见受けられない状态である。そして心が冻てついてしまい、无表情でどこかを凝视している。痛みや恐怖どころか、梦や希望さえも失くしてしまうそうだ。他にも、児童相谈所の现状も知ることができた。今は保护所がどこも定员がいっぱいで、命に関わるような子どもしか入れられない。また、児童相谈所も慢性的な人员不足で、ケースワーカー一人当たりの担当する児童が年々増えていき、机敏に対応できなくなっている。私は、虐待の疑いがあるから通报をうけているのに、この状态では调査すらすぐにできないのではないかと心配になった。そしてその期间に児童の绝対的な命の保证はあるのだろうか。
参考文献・引用
みひろゆう著『连锁する虐待 母が鬼と化すとき』新风社
引用URL
家族という名の强制収容所 http://trauma.or.tv/index.html
第2章「虐待する侧・される侧の心理」
第1节「虐待する侧の心理」
我が子を虐待するほとんどの亲は、自分が「虐待している」という意识がないのが普通である。「躾のため」や「ついエスカレートしてしまった」などと判で押したように言う。彼らもまた亲から暴力を受けて育っていることが多く、躾の手段として体罚を当然のこととして肯定するのだ。いわゆる“连锁”である。また必要以上に亲であることにこだわり、子どもを支配しようとする。この背景には、子どもが故意に自分に反抗したり挑戦していると感じたり、子どものために耻じをかかされるといった被害意识がある。
一方、「自分の子どもを虐待している」「子どもをかわいく思えない」と诉える亲は、自分の亲から厳しい躾と强い期待に支配されて「よい子」を演じ続けてきた人たちである。自分の亲との関系の中で基本的な安心感、信頼感、确実感がもてず、そのために自分の育児に强い不安感を抱いていることが多い。
虐待された経験のある人や、虐待してしまった経験がある人が集うサイトを覗いてみた。このサイトに集う加虐待者は自分が加虐待者だと认识しているので、先ほどの後者である。また、加虐待のきっかけとして次のようなことがあげられていた。
対処のしかたがわからなかった。
育児のモデルがなかった。
パートナーとうまくいっていなかった。
身体の疲れ、育児の疲れ。
自分の自由が夺われたような気がした。
言うことを闻かない。
子どもは亲に绝対服従するものと误解していた。(自分がそうだった)
完璧な育児ができるはずと思い込んでいた。
亲や夫が助けてくれない。
病気がちで手がかかった。
夫からの暴力、爱情不足。 など。
见ていて腹が立つものもある。しかしその一方で努力もしていることがわかった。
“加虐待を减らすためにしていること”という问いに対しての回答だ。
よその子と比较しない。
イライラしている时は、なるべく子どもと関わらない。
主人にすべて打ち明けて、协力してもらうようにした。
スキンシップを増やす。
自分の本心に嘘をつかず、演技しない。
自分で自分を殴って、痛みを体感する。
家族で楽しいことを探す。
怒りたい时、子どものいいところを探す。
自分の时间をもつ。 など。
そして、“加虐待から抜け出したきっかけ”では
主人の支えと通院。
虐待防止センターに相谈した。
育児サークルで虐待をカミングアウトした。
まだ悩んでいる。子どもを杀してしまいそうで怖い。
などの意见があった。「カウンセラーや精神科の主治医に助けられた、という人もたくさんいた。そして何よりも、「子どもからの手纸・言叶・深い爱情」という投稿が胸に染みた。虐待することがいいこととは言えないけれど、してしまう人も自分を责めて苦しんでいるんだと感じた。
第2节「虐待される侧の心理」
まず最初に、亲から言われて伤ついた言叶の投稿を绍介したい。どれも目を覆いたくなるようなものばかりだった。
「あんたさえいなければ、あたしの人生はもっと违っていたのに。」
「おまえなんか死んでしまえ。」
「生きているなんて・・・ゾッとする。」
「许せない。おまえが幸せになるなんて!」
「死ね!おまえが幸せになると私は不幸になる。」
「これでも手加减してやってるんだ。」
「あんた、お手伝いさんだからね。」
「いなくなっても不便とは思うけど、寂しいとは思わない。」
「亲だって子どもを选べないんだから、お互い様だね。」
「このバカは、ほんとクソの役にもたたない!」
「家畜以下だから、殴らないと何もわからないもん。」
「おまえは俺の人形。玩具だ。」
「おまえなんか谁にも望まれないで生まれてきた子どもだ。早く死んでしまえ。」
他にもたくさんの投稿があったが、どれも残酷で悲しい言叶が并んでいた。また、このサイトに投稿している人たちは「亲に杀意を抱いたことがある」「亲が自分に向ける爱情はどこか歪んでいる。」など、憎んでいる人が多かった。母亲のことを“卵子提供者”と呼んでいる人もいた。そんな中でも「いろいろ辛かったけど、今は生きたい。」などの前向きな投稿もあり、すごく嬉しい気持ちになった。そして虐待された人もまた、自分が虐待しないために
亲のようにならないという强い気持ちを持つ。
苦しさや憎しみの相手は亲だと言い闻かせる。
亲と自分は别の人间であることを言い闻かせる。
子どもと自分を重ねない。
自分を认める。
手抜きでも、子どもといることを楽しむ。
など、いろんな苦しみと闘いながら努力している。被虐待者たちはされている时だけでなく、その後も辛い过去を背负っていかなくてはいけない。自分を责め、人が信じられず苦しみながら、それでも必死で生きている。そんなすごい人を“家畜以下”などと呼べる亲の方がよっぽど人间离れしている。被虐待者の人たちには、自分は悪くないということを心からわかってほしいと愿う。
参考文献・引用
山县文治监修 家庭児童相谈室を考える会编著
『家庭児童相谈室で出会った亲子―地域に根ざす相谈机関の奋闘记―』
ミネルヴァ书房
引用URL
家族という名の强制収容所 http://trauma.or.tv/index.html
第3章「被虐待児の発见と诊断」
第1节「身体所见」
これもみひろゆうさんの『连锁する虐待』に书いていたものだが、简単に言うと被虐待児の発见方法だ。身体所见は目に见えるので一番の手がかりになるし、谁でも発见することができるので、みんながこれから子どもと接する时に役立ててほしい。
不自然な伤や说明のつかない伤がある。
発见しにくい头部に伤がある。
身体や髪の毛がいつも不洁な状态である。
成长期であるのに身长、体重の増加が悪い。
第2节「心理や行动的特徴」
次に保育士になりたい私にとっては、とても参考になる行动の特徴だ。しかしこの行动の特徴は教师目线で书かれているので、教师や保育士以外の人はあまり使えないかもしれない。
语りかけても表情が乏しい。
人と视线を合わせようとせず、避ける倾向がある。
少しでも注意すると、固まった状态になる。
精神が不安定なため、人に抱かれると异常に离れたがらない。
衣服が汚れて清洁ではない。
季节に适した衣服を着ていない。
理由のはっきりしない欠席がある。
第3节「気をつけてほしいこと」
虐待の疑いのある児童と出会った时、「违っていたらどうしよう」などの考えから公的机関に通报できないケースがよくある。匿名でも通报できるので勇気をもってほしいし、私も怪しいと思った时点で通报しようと思う。その勇気が一人の幼い命を救えるかもしれないからだ。
他にも気をつけなければいけないことがいくつかある。 “言われて伤ついた言叶”の投稿を参考にしてほしい。
「顽张れ!」
「やめてって言えばよかったのに。」
「亲子なんだから、いつかわかり合える时が来るよ。」
「そんなこと気にするなよ。」
「自分の体験を本に缀るとか、テレビのインタビューに颜隠して出れば?」
「あんた、普通じゃないよ。」
「あんたより苦労してる人たくさんおる。」
彼らはもぅ十分顽张ったのだから、「顽张れ」なんて决して言わないでほしい。确かにもっと苦労している人はいるかもしれが、本来一番そばで何があっても味方でいてくれるはずの亲から虐待される苦しみ、爱されないで育って人を爱したり信じることができない悲しみを、完全に理解できなくてもわかろうとしてほしいと思う。
最後に“言われて救われた言叶”の投稿を绍介したい。亲から爱情をもらって育っている私たちでも、言叶で救ってあげることができるのだ。
「胸张ってええやん。」
「あなたが困难な道のりを谛めずにきたことを嬉しく思います。」
「これからは、君が亲から受け损なってきた爱情を私が代わりに注いであげるからね。」
「私にはあなたが大事だから。」
「これからは“あなたのため”に生きてください。今からでも间に合います。」
「どこにも行かない、ずっと傍にいる。」
「あなたが生きているだけで奇迹のようなものなのだから…顽张らなくてもいいんだよ?」
「扫除が嫌いな君でも、君の人格には関系ないでしょ?」
また、被虐待者が心の伤を隠すために、心を守るために当たり前のように身につけていた铠を脱ぐことはとても难しいことなので、心をひらくのに时间がかかる。それを理解してもしその人が大切な人なら、めげずに「あなたが必要なんだよ、大切なんだよ」ということを伝えていきたいし、みんなにもそうしてほしい。
参考文献・引用
みひろゆう著『连锁する虐待 母が鬼と化すとき』新风社
引用URL
家族という名の强制収容所 http://trauma.or.tv/index.html
第4章「実习に行って」
第1节「高鷲学园」
8月に高鷲学园に実习へ行くことができた。高鷲学园では、现在100名が生活している。入所理由は大きく分けて3つあり、亲の行方不明などの“养育困难”、亲が精神疾患などの“疾病等”、そして“虐待等”である。一番多い理由は亲の行方不明で、次にネグレクトだ。
第2节「园长先生からの闻き取りでわかったこと」
昔は亲の死亡によって入所する子どもが多かったのに対して、今の子どもにはほとんど亲がいる。また、入所してくる子どもは施设の大人が信じてもいい人か试すために、“试し行动”といって悪さや暴言で大人の反応を见る行动をとる。それでも决して、施设の人たちは手をあげないということがわかった。
第3节「子どもちとふれあって感じたこと」
2时间という短い时间だったけど、たくさんのことを感じた。まずびっくりしたことは、先生の子どもへの接し方だ。本気で怒鸣るし、游びでも本気で水をかけたりする。しかし後で考えたら当然のことだと思った。怒ってくれたり游んでくれる亲がいないから、あの子たちにとって先生が亲なのだ。切ない思いでいっぱいになったのと同时に、保育所や幼稚园とは违うんだと実感した。それから、コミュニケーションのとり方がすごく近い子が多かった。ひっついて离れない子や膝に乗ってくる子、上から乗ってくる子が3人ほど目立った。逆にすぐ泣いてしまう子もいた。自分だけに爱情を注いでくれる人がいない分、気持ちが不安定で独占欲も强くなるのではないかと感じた。
第5章「自分にできること」
今回、虐待について调べてみてたくさんのことを知ることができ、自分にできることも见つかった。1日に100件の児童虐待が発生している(平成16年度、児童相谈所受付)世の中で、出会うたくさんの子どものなかには被虐待児がいるかもしれない。その子には、たとえ亲から爱情を十分に注いでもらえなくても「私にとってあなたはかけがえの存在です」と伝えたい。そしてまずは、被虐待児を発见・诊断できる知识と心のケアをこれからもっと身につけていきたいと思う。被虐待児がいないことが一番だけど、一人でも救うことができたらこの课题研究が生かされた时だ。学んだことを忘れずに、一人でも多くの子どもが幸せになれるように努めていきたい。まずは知识を身につけること、そして一生悬命勉强してそれを生かせる保育士という仕事をすること、目の前に役に立てると思うことが出てきた时、勇気をもって行动すること。それが私にできることだと思う。参考资料:http://www.osaka-c.ed.jp/matsubara/KADAI/32ki/kadair34.htm
私が「児童虐待について」调べようと思ったのは、以前からニュース等を见て兴味を持っていたからだ。自分自身がみんなに爱されて育っている分、虐待する亲の心理が理解できずにいるから知りたいと思った。自分がお腹を痛めて产んで育ててきた子どもを嫌いなはずがないと思う。爱情があるならどうして虐待という行为につながるのか。何がそうさせているのかを私は知りたい。また、虐待された子どもは亲をどんな风に思っているのか。憎いのか、それでも好きなのか、人によって违うと思う。そのいろいろな声を闻いてみたい。その子がおとなになって子どもができた时、连锁が起こりやすいというがどうしてそうなるのか。
2つ目の理由として、私は将来保育士になりたい。その时に虐待を见极めることができたら、助けてあげられるかもしれない。心のケアもしてあげられるかもしれない。そう思ったからだ。
私が调べようと思っていることは、まず児童养护施设に行って子どもたちの様子を见ること。伤を负った子どもたちの行动、言叶をしっかり见たい。また、先生の话を闻くことで接し方や心のケアを学びたい。次に、インターネットで虐待した人・された人が集うようなサイトを探してみたい。本音を见ることができる気がするからだ。インターネットでは、虐待の种类などの基本的なことも调べたいと思っている。今まで知らなかった种类も见つけられたらと思う。そして、虐待関连の本をたくさん読みたい。生々しい体験も见られるし、いろんな事が见えてくると思う。できれば、本の著者に手纸を书いて质问などができたらと思っている。その他にも、他府県の児童养护施设で特殊な取り组みなどをしている所があれば、电话などで话を闻きたい。
このようなことを调べた上で、自分にできることを考えたい。调べたからには役立てたいし、これからの人生で生かしていきたい。自分にできることが见つかればどんどんしていきたい。私は、虐待について调べることで将来の自分が素敌なおとなになれるステップになればいいと思う。
第1章「虐待とは」
第1节「虐待行为の种类」
虐待行为の种类は大きく分けて4つある。1つ目は身体的虐待である。具体的な例をあげると、暴力・たばこの火を押しつけるなど。2つ目は性的虐待。これはそのままだけれど、无理矢理SEXをしたり性的行为をさせることなどがある。3つ目は心理的虐待。例えば、「あんたなんて生まなければよかった。」などの暴言をはいたりする。最後にネグレクトだ。ネグレクトとは、遗弃・衣食住や清洁さについての健康状态を损なう放置(栄养不良・极端な不洁・学校へ行かせない・怠慢ないし拒否など)のことである。1番多いのは精神的虐待・身体的虐待、2番目にネグレクト、3番目に性的虐待というようになっている。このように种类は分かれているが、実际の虐待は何种类もの虐待が重なり合って起きている。最初はひょんなことから暴力が始まり、止まらなくなってエスカレートすると心理的虐待やネグレクトにも発展するケースもよくある。性的虐待は、父亲・义父が娘にするのが多いだろう。
第2节「连锁する虐待」
私は夏休みにある1册の本に出会った。みひろゆうさんの『连锁する虐待 母が鬼と化すとき』だ。実际の児童虐待の事件を深く取材して、公表されない事実をもとにストーリーを描いたこの作品で、第26回新风社出版赏特别赏を受赏している。一人の少女が、恋人ができる前は优しかった母亲とその母亲の恋人の大学生から虐待を受け、少女の元担任の女性教师が悬命に助けようとするが、学校の不适切な対応や児童相谈所が学校の意见と母亲の供述だけで间违った判定をくだしてしまったことから、助けることができずに少女は死んでしまうという、とても悲しい话である。この母亲もまた、幼い顷に父亲から暴力を受けていたという。しかし、二人は身体的虐待に加えて心理的虐待はもちろんのことネグレクト・监禁もした。少女はまだ8歳だった。
この本を読んで、たくさんの事がわかったのと同时にあまりにも悲しすぎる现実も见えた。まず、日本とアメリカの法律の违いだ。アメリカのカルフォルニア州の虐待に関する法律は3000条を超えるのに対して、日本の児童虐待防止法はわずか16条しかない。施行されるのもアメリカから26年も遅れている。日本は虐待に関しては後进国なのである。また、1993年に小児病院の医师チャールズ・F・ジョンソンの発表したデータも载っていた。伤の様子で虐待かを判断する方法である。「まず、身体のどこに伤ができたのかを调べる。本来、外伤から守られる场所に伤があれば意図的な外伤である疑いが强いし、皮肤迹を调べれば、使われた道具の特定も可能だ。それから、伤口の色から外伤を受けた时期がわかる。つまり、伤口の色が复数であればあるほど反复的な怪我ということになり、虐待の可能性が高い。」と书かれている。次に、虐待をうけている子どもの感情の変化も书かれていた。これは、著者であるみひろゆうさんが调べたものだと思う。「虐待をうけている子どもは感情の不连続性が见られたり、情绪不安定になったりする。さらに症状が进むと感情の切り离しが始まる。なぜなら、あまりにも身体的苦痛や心理的苦痛が大きいために、世の中すべてのことから意识を切り离してしまうから。そしてこの状态が慢性化すると、すべての感情が麻痹してしまう。」というものだった。感情は麻痹するとは、喜怒哀楽を示さなくなり、感情がまったく见受けられない状态である。そして心が冻てついてしまい、无表情でどこかを凝视している。痛みや恐怖どころか、梦や希望さえも失くしてしまうそうだ。他にも、児童相谈所の现状も知ることができた。今は保护所がどこも定员がいっぱいで、命に関わるような子どもしか入れられない。また、児童相谈所も慢性的な人员不足で、ケースワーカー一人当たりの担当する児童が年々増えていき、机敏に対応できなくなっている。私は、虐待の疑いがあるから通报をうけているのに、この状态では调査すらすぐにできないのではないかと心配になった。そしてその期间に児童の绝対的な命の保证はあるのだろうか。
参考文献・引用
みひろゆう著『连锁する虐待 母が鬼と化すとき』新风社
引用URL
家族という名の强制収容所 http://trauma.or.tv/index.html
第2章「虐待する侧・される侧の心理」
第1节「虐待する侧の心理」
我が子を虐待するほとんどの亲は、自分が「虐待している」という意识がないのが普通である。「躾のため」や「ついエスカレートしてしまった」などと判で押したように言う。彼らもまた亲から暴力を受けて育っていることが多く、躾の手段として体罚を当然のこととして肯定するのだ。いわゆる“连锁”である。また必要以上に亲であることにこだわり、子どもを支配しようとする。この背景には、子どもが故意に自分に反抗したり挑戦していると感じたり、子どものために耻じをかかされるといった被害意识がある。
一方、「自分の子どもを虐待している」「子どもをかわいく思えない」と诉える亲は、自分の亲から厳しい躾と强い期待に支配されて「よい子」を演じ続けてきた人たちである。自分の亲との関系の中で基本的な安心感、信頼感、确実感がもてず、そのために自分の育児に强い不安感を抱いていることが多い。
虐待された経験のある人や、虐待してしまった経験がある人が集うサイトを覗いてみた。このサイトに集う加虐待者は自分が加虐待者だと认识しているので、先ほどの後者である。また、加虐待のきっかけとして次のようなことがあげられていた。
対処のしかたがわからなかった。
育児のモデルがなかった。
パートナーとうまくいっていなかった。
身体の疲れ、育児の疲れ。
自分の自由が夺われたような気がした。
言うことを闻かない。
子どもは亲に绝対服従するものと误解していた。(自分がそうだった)
完璧な育児ができるはずと思い込んでいた。
亲や夫が助けてくれない。
病気がちで手がかかった。
夫からの暴力、爱情不足。 など。
见ていて腹が立つものもある。しかしその一方で努力もしていることがわかった。
“加虐待を减らすためにしていること”という问いに対しての回答だ。
よその子と比较しない。
イライラしている时は、なるべく子どもと関わらない。
主人にすべて打ち明けて、协力してもらうようにした。
スキンシップを増やす。
自分の本心に嘘をつかず、演技しない。
自分で自分を殴って、痛みを体感する。
家族で楽しいことを探す。
怒りたい时、子どものいいところを探す。
自分の时间をもつ。 など。
そして、“加虐待から抜け出したきっかけ”では
主人の支えと通院。
虐待防止センターに相谈した。
育児サークルで虐待をカミングアウトした。
まだ悩んでいる。子どもを杀してしまいそうで怖い。
などの意见があった。「カウンセラーや精神科の主治医に助けられた、という人もたくさんいた。そして何よりも、「子どもからの手纸・言叶・深い爱情」という投稿が胸に染みた。虐待することがいいこととは言えないけれど、してしまう人も自分を责めて苦しんでいるんだと感じた。
第2节「虐待される侧の心理」
まず最初に、亲から言われて伤ついた言叶の投稿を绍介したい。どれも目を覆いたくなるようなものばかりだった。
「あんたさえいなければ、あたしの人生はもっと违っていたのに。」
「おまえなんか死んでしまえ。」
「生きているなんて・・・ゾッとする。」
「许せない。おまえが幸せになるなんて!」
「死ね!おまえが幸せになると私は不幸になる。」
「これでも手加减してやってるんだ。」
「あんた、お手伝いさんだからね。」
「いなくなっても不便とは思うけど、寂しいとは思わない。」
「亲だって子どもを选べないんだから、お互い様だね。」
「このバカは、ほんとクソの役にもたたない!」
「家畜以下だから、殴らないと何もわからないもん。」
「おまえは俺の人形。玩具だ。」
「おまえなんか谁にも望まれないで生まれてきた子どもだ。早く死んでしまえ。」
他にもたくさんの投稿があったが、どれも残酷で悲しい言叶が并んでいた。また、このサイトに投稿している人たちは「亲に杀意を抱いたことがある」「亲が自分に向ける爱情はどこか歪んでいる。」など、憎んでいる人が多かった。母亲のことを“卵子提供者”と呼んでいる人もいた。そんな中でも「いろいろ辛かったけど、今は生きたい。」などの前向きな投稿もあり、すごく嬉しい気持ちになった。そして虐待された人もまた、自分が虐待しないために
亲のようにならないという强い気持ちを持つ。
苦しさや憎しみの相手は亲だと言い闻かせる。
亲と自分は别の人间であることを言い闻かせる。
子どもと自分を重ねない。
自分を认める。
手抜きでも、子どもといることを楽しむ。
など、いろんな苦しみと闘いながら努力している。被虐待者たちはされている时だけでなく、その後も辛い过去を背负っていかなくてはいけない。自分を责め、人が信じられず苦しみながら、それでも必死で生きている。そんなすごい人を“家畜以下”などと呼べる亲の方がよっぽど人间离れしている。被虐待者の人たちには、自分は悪くないということを心からわかってほしいと愿う。
参考文献・引用
山县文治监修 家庭児童相谈室を考える会编著
『家庭児童相谈室で出会った亲子―地域に根ざす相谈机関の奋闘记―』
ミネルヴァ书房
引用URL
家族という名の强制収容所 http://trauma.or.tv/index.html
第3章「被虐待児の発见と诊断」
第1节「身体所见」
これもみひろゆうさんの『连锁する虐待』に书いていたものだが、简単に言うと被虐待児の発见方法だ。身体所见は目に见えるので一番の手がかりになるし、谁でも発见することができるので、みんながこれから子どもと接する时に役立ててほしい。
不自然な伤や说明のつかない伤がある。
発见しにくい头部に伤がある。
身体や髪の毛がいつも不洁な状态である。
成长期であるのに身长、体重の増加が悪い。
第2节「心理や行动的特徴」
次に保育士になりたい私にとっては、とても参考になる行动の特徴だ。しかしこの行动の特徴は教师目线で书かれているので、教师や保育士以外の人はあまり使えないかもしれない。
语りかけても表情が乏しい。
人と视线を合わせようとせず、避ける倾向がある。
少しでも注意すると、固まった状态になる。
精神が不安定なため、人に抱かれると异常に离れたがらない。
衣服が汚れて清洁ではない。
季节に适した衣服を着ていない。
理由のはっきりしない欠席がある。
第3节「気をつけてほしいこと」
虐待の疑いのある児童と出会った时、「违っていたらどうしよう」などの考えから公的机関に通报できないケースがよくある。匿名でも通报できるので勇気をもってほしいし、私も怪しいと思った时点で通报しようと思う。その勇気が一人の幼い命を救えるかもしれないからだ。
他にも気をつけなければいけないことがいくつかある。 “言われて伤ついた言叶”の投稿を参考にしてほしい。
「顽张れ!」
「やめてって言えばよかったのに。」
「亲子なんだから、いつかわかり合える时が来るよ。」
「そんなこと気にするなよ。」
「自分の体験を本に缀るとか、テレビのインタビューに颜隠して出れば?」
「あんた、普通じゃないよ。」
「あんたより苦労してる人たくさんおる。」
彼らはもぅ十分顽张ったのだから、「顽张れ」なんて决して言わないでほしい。确かにもっと苦労している人はいるかもしれが、本来一番そばで何があっても味方でいてくれるはずの亲から虐待される苦しみ、爱されないで育って人を爱したり信じることができない悲しみを、完全に理解できなくてもわかろうとしてほしいと思う。
最後に“言われて救われた言叶”の投稿を绍介したい。亲から爱情をもらって育っている私たちでも、言叶で救ってあげることができるのだ。
「胸张ってええやん。」
「あなたが困难な道のりを谛めずにきたことを嬉しく思います。」
「これからは、君が亲から受け损なってきた爱情を私が代わりに注いであげるからね。」
「私にはあなたが大事だから。」
「これからは“あなたのため”に生きてください。今からでも间に合います。」
「どこにも行かない、ずっと傍にいる。」
「あなたが生きているだけで奇迹のようなものなのだから…顽张らなくてもいいんだよ?」
「扫除が嫌いな君でも、君の人格には関系ないでしょ?」
また、被虐待者が心の伤を隠すために、心を守るために当たり前のように身につけていた铠を脱ぐことはとても难しいことなので、心をひらくのに时间がかかる。それを理解してもしその人が大切な人なら、めげずに「あなたが必要なんだよ、大切なんだよ」ということを伝えていきたいし、みんなにもそうしてほしい。
参考文献・引用
みひろゆう著『连锁する虐待 母が鬼と化すとき』新风社
引用URL
家族という名の强制収容所 http://trauma.or.tv/index.html
第4章「実习に行って」
第1节「高鷲学园」
8月に高鷲学园に実习へ行くことができた。高鷲学园では、现在100名が生活している。入所理由は大きく分けて3つあり、亲の行方不明などの“养育困难”、亲が精神疾患などの“疾病等”、そして“虐待等”である。一番多い理由は亲の行方不明で、次にネグレクトだ。
第2节「园长先生からの闻き取りでわかったこと」
昔は亲の死亡によって入所する子どもが多かったのに対して、今の子どもにはほとんど亲がいる。また、入所してくる子どもは施设の大人が信じてもいい人か试すために、“试し行动”といって悪さや暴言で大人の反応を见る行动をとる。それでも决して、施设の人たちは手をあげないということがわかった。
第3节「子どもちとふれあって感じたこと」
2时间という短い时间だったけど、たくさんのことを感じた。まずびっくりしたことは、先生の子どもへの接し方だ。本気で怒鸣るし、游びでも本気で水をかけたりする。しかし後で考えたら当然のことだと思った。怒ってくれたり游んでくれる亲がいないから、あの子たちにとって先生が亲なのだ。切ない思いでいっぱいになったのと同时に、保育所や幼稚园とは违うんだと実感した。それから、コミュニケーションのとり方がすごく近い子が多かった。ひっついて离れない子や膝に乗ってくる子、上から乗ってくる子が3人ほど目立った。逆にすぐ泣いてしまう子もいた。自分だけに爱情を注いでくれる人がいない分、気持ちが不安定で独占欲も强くなるのではないかと感じた。
第5章「自分にできること」
今回、虐待について调べてみてたくさんのことを知ることができ、自分にできることも见つかった。1日に100件の児童虐待が発生している(平成16年度、児童相谈所受付)世の中で、出会うたくさんの子どものなかには被虐待児がいるかもしれない。その子には、たとえ亲から爱情を十分に注いでもらえなくても「私にとってあなたはかけがえの存在です」と伝えたい。そしてまずは、被虐待児を発见・诊断できる知识と心のケアをこれからもっと身につけていきたいと思う。被虐待児がいないことが一番だけど、一人でも救うことができたらこの课题研究が生かされた时だ。学んだことを忘れずに、一人でも多くの子どもが幸せになれるように努めていきたい。まずは知识を身につけること、そして一生悬命勉强してそれを生かせる保育士という仕事をすること、目の前に役に立てると思うことが出てきた时、勇気をもって行动すること。それが私にできることだと思う。参考资料:http://www.osaka-c.ed.jp/matsubara/KADAI/32ki/kadair34.htm
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