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求助,求川端康成在领诺贝尔时的发言原文,要日语版的~谢谢~

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解决时间 2021-01-27 16:28
  • 提问者网友:骑士
  • 2021-01-26 19:29
求助,求川端康成在领诺贝尔时的发言原文,要日语版的~谢谢~
最佳答案
  • 五星知识达人网友:忘川信使
  • 2021-01-26 19:59
「美しい日本の私」より

”春は花夏ほととぎす秋は月 冬雪さえて冷しかりけり”

(道元禅师)

”云を出でて我にともなふ冬の月 风や身にしむ雪や冷たき”

”山の端にわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ”

”隈もなく澄める心の辉けば 我が光とや月思ふらん”

”あかあかやあかあかあかやあかあかや あかやあかあかあかあかや月”

(明恵上人)

「歌を咏むとも実に歌とも思はず」(西行)の趣きで

素直、纯真、月に话しかけるそのままの三十一文字で

いわゆる「月を友とする」よりも月に亲しく

月を见る我が月になり、我に见られる月が我になり

自然に没入、自然と合一しています。

暁前の禅堂に坐って思索する僧の「澄める心」の光を

有明の月は月自身の光と思ふだらうといふ风であります。

「我にともなふ冬の月」の歌も

まことに心やさしい

思ひやりの歌とも受け取れるからであります。

云に入ったり云を出たりして

禅堂に行き帰りする我の足もとを明るくしてくれ

狼の吼え声もこはいと感じさせないでくれる「月の光」よ

风が身にしみないか、雪が冷たくないか。

私はこれを自然、そして人间にたいする

あたたかく、深い、こまやかな思ひやりの歌として

しみじみとやさしい日本人の心の歌として

人に书いてあげています。

雪の美しいのを见るにつけ

月の美しいのを见るにつけ

つまり四季折々の美に、自分が触れ目覚める时

実にめぐりあふ幸ひを得た时には

亲しい友が切に思はれ、このよろこびを共にしたいと愿ふ

つまり

美の感动が人なつかしい思ひやりを强く诱い出すのです。

この「友」は、広く「人间」ともとれませう。

また「雪、月、花」といふ四季の移りの折々の美を现わす言叶は

日本においては山川草木、森罗万象、自然のすべて

そして人间感情をも含めての

美を现わす言叶とするのが伝统なのであります。

そして日本の茶道も

「雪月花の时、最も友を思ふ」

のがその根本の心で

茶会はその「感会」

よい时によい友だちが集ふよい会なのであります。

「春は花・・・」

この道元の歌も四季の美の歌で

古来の日本人が春、夏、秋、冬に

第一に爱でる自然の景物の代表を

ただ四つ无造作にならべただけの

月并み、常套、平凡、この上ないと思へば思へ

歌になっていない歌と言へば言へます。

”形见とて何か残さん春は花 山ほととぎす秋はもみじ叶”

これも道元の歌と同じやうに

ありきたりの事柄とありふれた言叶を

ためらひもなく、と言うよりも、ことさらもとめて

连ねて重ねるうちに

日本の真髄を伝えたのであります。

まして、良寛の歌は辞世です。

”霞立つ永き春日に子供らと 手毬つきつつこの日暮しつ”

”风は清し月はさやけしいざ共に 踊り明さむ老いの名残に”

”世の中にまじらぬとにはあらねども ひとり游びぞ我はまされる”

これらの歌のような心と暮らし

草の庵に住み、农夫と语り、信教と文学との深さを

むづかしい话にはしないで

「和颜爱语」の无垢な言行とし

しかも、诗歌と书风と共に、江戸后期

十八世纪の终りから十九世纪の始め

日本の近世の俗习を超脱

古代の高雅に通达して

现代の日本でもその书と诗歌を

はなはだ贵ばれている良寛

その人の辞世が

自分には形见に残すものはなにも持たぬし

なにも残せるとは思はぬが

自分の死后も自然はなほ美しい

これがただ自分のこの世に残す形见になつてくれるだらう

といふ歌であったのです。

日本古来の心情がこもっているとともに

良寛の宗教の心も闻こえる歌です。

”いついつと待ちにし人は来りけり 今は相见てなにか思はん”

このような爱の歌も良寛にはあって

私の好きな歌ですが

老衰の加わった六十八歳の良寛は

二十九歳の若い尼、贞心とめぐりあって

うるはしい爱にめぐまれます。

永远の女性にめぐりあへたよろこびの歌とも

待ちわびた爱人が来てくれたよろこびの歌とも取れます。

「今は相见てなにか思はん」が素直に満ちています。

禅宗には偶像崇拝はありません。

禅寺にも仏像はありますけれど

修行の场、坐禅して思案する堂には

仏像、仏画はなく、経文の备へもなく

瞑想して、长い时间、无言、不动で坐っているのです。

そして、无念无想の境に入るのです。

「我」をなくして「无」になるのです。

この「无」は西洋风の虚无ではなく

むしろその逆で

万有が自在に通ふ空、无涯无辺、无尽蔵の心なのです。

”问へば言ふ问はねば言はぬ达磨どの 心の内になにかあるべき”

”心とはいかなるものを言ふならん 墨絵に书きし松风の音”

(一休禅师)

これは东洋画の精神でもあります。

东洋画の空间、余白、省笔もこの墨絵の心でありましょう。

「见ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明るむ」

(道元禅师)

「ただ小水尺树をもって、江山数程の胜机を现わし

暂时倾刻のあひだに、千変万化の佳兴をもよほす。

あたかも仙家の妙术と言ひつべし」

(池坊専応)

西洋の庭园が多くは均整に造られるのにくらべて

日本の庭园はたいてい不均整に造られますが

不均整は均整よりも、多くのもの、広いものを

象徴出来るからでありませう。

勿论その不均整は

日本人の繊细微妙な感性のよって

钓り合いが保たれての上であります。

日本の庭园ほど复雑、多趣、绵密

したがってむずかしい造园法はありません。

「和敬静寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は

勿论むしろ心の豊かさを蔵してのことですし

极めて狭小、简素の茶室は

かえって无辺の広さと无限の优丽さとを宿しております。

一轮の花は百轮の花よりも花やかさを思わせるのです。

「野山水辺をおのづからなる姿」

(池坊専応)

「古人、皆、花を生けて、悟道したるなり」

禅の影响による、日本の美の心のめざめでもあります。

少年の私が古语をよく分らぬながら読みましたのも

この平安文学の古典が多く

なかでも「源氏物语」がおのづからしみこんでいると思ひます。

「源氏物语」の后、日本の小说はこの名作へのあこがれ

そして真似や作り変へが、几百年も続いたのでありました。

和歌は勿论、美术工芸から造园にまで「源氏物语」は深く広く

美の粮となり続けたのであります。

日本、あるひは东洋の「虚空」

无はここにも言ひあらわれています。

私の作品を虚无と言ふ评家がありますが

西洋流のニヒリズムといふ言叶はあてはまりません。

心の根本がちがふと思っています。

道元の四季の歌も

「本来ノ面目」と题されてをりますが

四季の美を歌ひながら

実は强く禅に通じたものでせう。

似乎不全,尽力而为了。
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